コラム

「性善説」のみなさんと 「性悪説」の法律と

2024.01.10

ご縁があって、ある市民生協と医療福祉生協の顧問弁護士をさせていただいています。

市民生協は、組合員に安心できる食品等を届けようという消費者運動から、医療生協は、貧困地域で病に苦しむ人々を助けようという医療関係者の運動から、始まりました。いずれも、組合員(消費者、患者)がみずから出資し運営する非営利団体で、資本主義を超克する性格を持っています。もっとも、近年では、市民生協については、宅配事業は班による共同購入が敬遠され、個別配送が増えて手間も増えるのにドライバーは不足気味、店舗事業も大手スーパーなど(最近はネットスーパーも)との競争でたいへんです。

医療生協は、慢性的な医師不足に加え、この間のコロナ禍でかなりの打撃を受けました。介護事業は介護保険に縛られてこれもたいへん。そうした中で遭遇するさまざまな法的トラブルに対応するのが顧問弁護士の役割です。

ところで、私は、生協のとりわけ中核を担う人たちは、人は本来正直なもの、悪いことはしないもの、利他の心を持っているものと、信じている人が多いと感じています(なので、SDGs運動なども、単なるお題目ではなく、本気で取り組んでいます)。そんな気持ちのいい人たちと一緒に仕事ができるのは、ありがたいことです。でも、少々危なっかしいのも事実。トラブルの相手方が同じような人とは限らないからです。そこで私は、「性善説」だけではだめだよ、と繰り返すことになります。おそらく、「また言ってるわ。」と思われていることでしょう。でも、法律とは、そもそも「性悪説」の考え方に立っているのです(私自身、大学で民法の勉強を始めたとき、詐欺だの強迫だのという概念が最初に出てきて、これは一体何なんだと思ったことがあります)。

「性善説」のみなさんと「性悪説」の法律とのバランスをどうとるか。ハラハラすることもありますが、それでよい解決にたどり着けるのは弁護士冥利に尽きるといえます。