このたび、旬報社から、「最新テーマ別〈実践〉労働法実務シリーズ」(全13巻)が刊行されることになりました。 私はその編集委員ですが、第1巻の執筆も担当することになり、2024年7月、標題の書籍を上梓し …続きを読む
大阪法律事務所の歴史シリーズ、久々の更新です。
行政の不正に挑む
1991年、新たに就任した東大阪市長が、目の上のこぶである東大阪市職労を底的に潰しにかかったことから、東大阪市職労はさまざまな裁判闘争を行うことになりました。
これを中心的に担ったのが城塚弁護士で、その後、自治労連全国弁護団事務局長として、地方自治や地方公務員の権利の専門家となっていきました。
1998年、市長が官製談合事件がらみで逮捕され、長尾革新市政が誕生すると、
新人の河野弁護士が原告となり、長野、城塚弁護士とともに、前市長の責任を追及する住民訴訟を提起して勝訴判決を獲得しました(2号、1999年)。
東大阪市をめぐっては、保育所の待機児童の不透明な取扱いも問題となりました。
これについては、谷、原野、河野弁護士が保留処分取消訴訟を提起し、画期的な勝訴判決を得ました(5号、2002年)。
八尾市でも、市立高安保育所が廃止されたとき、谷、長野、城塚弁護士が代理人となって廃止条例取消訴訟という最先端の分野に取り組んだ結果、
行政の譲歩を勝ち取る和解ができました(8号、2008年)
多重債務者救済のために
バブル崩壊後の不景気の中、多重債務者の救済が社会問題となりました。
当事務所にも相談が殺到し、ピーク時には大阪地裁の破産事件の数%を当事務所が担っていることもありました(5号、2002年)。
このころ、河野弁護士は各地の民商と相談して勉強会を開催するとともに、
大阪弁護士会を通じて大阪府警察本部にヤミ金業者の取り締まりを強化させる取組みを進めました。