谷町だより

ニュースでふりかえる 大阪法律事務所の歴史③

2019.10.15

大阪法律事務所の歴史シリーズ、第3弾です。

 

オウム真理教とのたたかい 

1989年、「坂本弁護士一家失踪事件」が発生し、オウム真理教の犯行が疑われる中、坂本弁護士と同期の杉本、城塚弁護士も、オウム真理教に「出家」して連れ去られた子どもを取り戻す事件に取り組むことになりました。

寺沢弁護士にも参加してもらい、1990年9月、人身保護請求事件で画期的な勝利判決を得ましたが、残念ながら、坂本弁護士一家は帰ってきませんでした。

1991年に信楽高原鉄道事故が発生すると、杉本弁護士は遺族代理人として被害救済に尽力しました(5号、1992年)。

その後、杉本弁護士は、大阪教育大付属池田小学校事件をはじめ、さまざまな著名事件の被害者の代理人を務めることになり、犯罪被害者保護のエキスパートへの道を歩み始めます。

 

 

西淀川公害裁判

国、阪神高速と大企業10社を相手取った西淀川大気汚染公害裁判は、大阪の最大の公害事件となりました。

この弁護団には谷、長野弁護士が参加し、その中核を担いました。

第一陣の判決(勝訴)は1991 年3月でしたが、これに向けた弁護団の最終準備書面の作成は当事務所挙げての取り組みでした。

パンコンもメールもまだない時代。

大阪中から送られてくる手書きの原稿をまとめるのは当事務所の役割で、膨大な書面のワープロ打ちやコピーの作成は事務局が徹夜作業でカバーしました。

その思い出が「西淀と夜明けのコーヒー」というエッセイに綴られています(64号、1991年)。