孔市良通信

民謡ふるさと紀行 vol.6「茨城県大洗 磯節」

2014.06.06

1.はじめに
2014年5月6日に日本橋の国立文楽劇場で、藤本秀雛さんが主催する「秀雛会」の結成十周年記念大会が開催される。 私も3年前から秀雛さんに民謡と三味線を習ってきたこともあって、この日に「磯節」を唄うことになり、1年間練習してきた。年寄りの新人で、どこまで唄うことができるのか自分でも自信がないが、健康のためと思って唄っているので、気楽にやらせてもらうつもりである。 もう4、5年前になろうか、大阪工作所の事件で水戸地裁に行っていたこともあり、そのついでに大洗や那珂湊でも何回か泊まって、水戸の裁判所にかよった。こんな因縁からか、今回「磯節」を唄うことになったので、大洗から那珂湊に新ためて訪れることにした。

2.磯節発祥の地・大洗
2014年3月の21(金)22(土)が連休だったので、東京から水戸に出て、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に乗って大洗まで行き、大洗磯前神社のすぐ下の旅館、小林楼に一泊して磯節発祥の地を歩いてきた。

まず、この旅館から海岸沿いに300メートル程歩くと、大洗観光協会があり、このすぐ裏を登った林の中に磯節発祥の地の碑が建てられている。この碑には西條八十の筆で磯節の一番の前般部分の

「磯で名所は大洗さまよ 松が見えます ほのぼのと」歌詞が書かれている。この歌詞の下に磯節の起源として昭和39年大洗町長 加藤清による解説が書かれている。

この内容は次のとおりである。

「磯節は古くから当地方の舟唄として唄われ、明治の初期祝町の郡人渡辺竹楽房が音律を整え、その後本町生まれの名人関根安中が 全国に広めた郷土芸術である。茲に本場磯節の保存を希い磯節まつりを記念して、その起源を刻し永く後世に伝えるものである。」

この碑文のそばにあるボタンをおすと関根安中が唄った磯節の曲が流れてくる。私が訪れた時も、地元の老人の人がこの碑の前に座って曲を聞いているのに出くわした。曲が終わると黙って立ち去ったので、その後写真を数枚撮影した。

ただ、関根安中の磯節のメロディは私が習っている曲とは違っており、明治時代と現在とは曲にも大きな変化があったようだ。

この解説の中でも出てくる関根安中という人は盲目の歌手で、明治時代の横綱、水戸出身の常陸山に気に入られ、常陸山の巡業に同行して 旅先で磯節を唄って全国に磯節を広めたと、いろいろなところに書かれている。

3.大洗海岸「はなちる磯大洗」
旅館の裏は大洗海岸で、すぐ左側に海岸の岩の上に建てられた鳥居(神磯の鳥居)が見える。波は荒く、この岩に波が当たって白く泡だっているのがいい眺めだ。宿のご主人に聞くと、大震災の時には波が裏庭まで浸入してきたということだった。

次の日も晴れ。大洗から那珂川に向かうと、海門橋が那珂川に掛かっている。「かんぽの宿大洗」が左側、小高い丘に見える。このかんぽの宿の裏側に願入寺があり、ここを訪れることにした。

このお寺は親鸞聖人の孫の如信上人が開基した寺として有名であり、水戸光圀の直筆の書状や、親鸞聖人のゆかりの品などが開基堂の資料館に展示されている。

この寺にはもう一つ、磯節の碑の解説の中にも出てきた、渡辺竹楽房の銅像が建てられていると聞いて訪れたのである。

4.漁師の舟唄
磯節は那珂川の上に掛けられた橋の手前の大洗の祝町と川向こうの那珂湊の漁師達に唄い継がれてきた舟歌であったといわれている。

この舟唄を磯節として座敷唄として完成させたのが、遊郭の引手茶屋の主人であった渡辺竹楽房であった。この人が三味線の伴奏とはやしことばを加えて水戸の芸者に振り付けをさせたと伝えられている。

この座敷唄を広めたのが、関根安中だということになる。大洗も水戸も、この季節は梅の花が満開で、ゆったりした気分で宿の温泉で磯節を口ずさんだ。